“中身”と“包装”。「美術とは何か?」と問われれば、そう答える。
煩悩や本能、欲望というやや重めな印象があるものをテーマに据えて描くことが多い僕にとって、
そうしたものをどうやってパッケージするかが生命線になる。
表現とは、“中身”とそれをパッケージする“包装”で成立する。
中身(テーマや根拠)がなければ、ただただ表層的なものに終わってしまうし、
中身が練られていても包み方(見せ方や伝え方)が不十分であれば、途端に魅力は失われていくだろう。
至ってシンプルな関係性といえる。
とはいえ、両者のバランスを上手に取ろうなんてことはしない。
収拾がつかなくなってもいいという気持ちで、双方をぶつかり合わせることが肝要だ。
なぜなら、その中から生まれてきた僅かな矛盾が絵画としての強度を生み出すからである。
ふと自分の掌をみてみる。
僕を形成する血や骨は皮膚によって包み込まれているわけだが、
煩悩や欲望といった観念的なものまで包み込まれていることに気付く。
全てのものは“中身”と“包装”でできている。